渋谷再開発の真っ直中にある『渋谷』。この街の名前を聞いてどんなイメージを思い浮かべるでしょうか。

今の若い女性たちにとって渋谷はファッションの街の一つかも知れませんが、アラサーからアラフォーの女性にとってやはり渋谷は青春の聖地。コギャルやオギャルといわれた人達が闊歩していた頃、ヤマンバギャルが街にあふれていた頃…。渋谷109を中心とした若者ファッションの街渋谷が、青春の思い出の中にある人が多いはずです。

そんな中、降って沸いた渋谷再開発。変わりゆく青春の聖地に寂しさを感じる一方で、実は、これからの新しいライフスタイルを目指す大人達にとってもっともっと面白い街になっていくかも知れません。

渋谷はそもそも若者の街ではなかった

『若者の街』…そんな代名詞で日本中に知られている渋谷ですが、実は元々渋谷は若者の街ではなかったことをご存知でしょうか。

若者の街になる前の渋谷

渋谷が若者の街へと変わり始めたのは80年代後半からのこと。しかも、日本一の若者の街として若者文化の発信地となったのは90年代後半、今からほんの20年ほど前のことでしかありません。

そう、渋谷が若者の街であったのはほんのそれだけの間。それ以前の渋谷は、実は文化の香り漂う大人の街だったんです。

渋谷は文化の香り漂う大人の街

渋谷といえば、國學院大學や青山学院大学を要する文教地区。戦後間もない時代にありながら、渋谷パンテオン、東急名画座、東急レックス、等様々な映画館がひしめき合い、東急文化会館の屋上にはプラネタリウムもありました。しかも、渋谷公会堂もそこにはあって、クラシック音楽のコンサートではまっ先に名前の浮かぶ場所でした。

そう、渋谷はもとを辿れば文化の香り漂う大人の街。しかも、結構お金のある大人達が優雅に闊歩する街だったのです。

高級住宅街に隣接する渋谷

渋谷はもともとセレブ御用達の文化の殿堂。というのも、少し街の中心を離れればそこにあるのは日本有数の高級住宅街である松濤エリアなんですね。そのエリアに住んでいるのは、安倍首相を始め今でも政治家や大臣経験者、有名な経営者や芸能人、高級官僚など名だたる名士や政財界の重鎮、と大物ばかり。渋谷の街を若者が占拠する前は、そんなセレブ達が闊歩するハイクラスな街だったのです。

若者の街になるきっかけ…それは雑貨屋文化からだった

そんな渋谷が若者の街になったきっかけは、実は雑貨屋さん。今からは想像できないと思いますが、渋谷が若者の街になるきっかけとなったのが、1974年にオープンした『文化屋雑貨店』であり1980年にオープンした『大中』(両者ともに閉店)でした。

そして今では全国的にも有名な『Loft』が、若者達に火を点けたのです。1987年に西武にオープンしたLoftは、またたく間に若者の心をつかみ、80年代後半から90年代前半はLoftの黄色い袋を持っているだけでなんとなくオシャレと言われるほどでした。

こうして、若者の心をつかんだ渋谷は若者の街になったのです。

若者の聖地『渋谷』の真実

セレブの闊歩する文化の街から若者の情報発信地に。

しかし、それは渋谷にとって一過性の熱病のようなものだったのかもしれません。

若者の街として日本の流行の中心に

雑貨屋さんを中心に若者の街となった渋谷。そんな渋谷が若者文化の発信地としての地位を決定づけたのが、そう“マルキュー”の愛称でおなじみの『SHIBUYA109』、そしてセンター街でした。『SHIBUYA109』には数々のファッションブランドがひしめき、特にギャル系ファッションはそこでなら全てが揃うとまで言われました。

一方センター街は大型レコード店やゲームセンターが出店し、若者の娯楽文化を牽引。気がつけば、若者の楽園のようになっていったのです。

若者が定着することでイメージダウンを招いた渋谷

若者で賑わう、日本一の流行の発信地、渋谷。そんな賑わいの頂点を迎えた渋谷ですが、同時にそこに集まってきたのはガングロギャルやチーマーと言ったいわゆるちょっと怖い若者たち。実際、この頃は治安も悪化、センター街には落書きも溢れて渋谷のイメージは急落します。

それまで、若者にとって最先端のおしゃれな街というイメージだった渋谷は、どちらかというとちょっとアウトローな若者の集まる怖い街というイメージに変わりました。そう、そこは、大人が眉をひそめる若者の街になったのです。

渋谷が儲からない街に?!

いつしか渋谷は、ちょっとワル目の若者の集まる街になっていきました。当然街にいる人の数はその頃もかなり多かったのは間違いありませんが、そこに大半いたのはただウロウロする若者たち。購入するのは格安のファッショングッズであり、ちょっとしたアクセや小物類が中心。もしくは、CDなどの音楽関連のものか、もしくはゲームで遊ぶお金などちょっとした娯楽遊興費が中心になっていったのです。

つまり、人は多いのになかなかお金を落とさない若者ばかりの街。イメージばかり悪くなり、その上購買意欲の少ない若者で溢れている。気がつけば渋谷は、人が多いだけであまり儲からない街になっていたんですね。

生まれ変わろうとした渋谷

そんな中、渋谷の街もその状態をなんとか回避しようと動き始めました。治安回復のために巡回警備を町の人達で始めたり、若者の非行の代名詞のようになってしまった渋谷センター街という町名を廃止してバスケットストリートに改名したり。しかし、それでも、今なおそのイメージは回復しきったとは言えません。

また、ギャル文化の中心として渋谷の若者文化を牽引してきたSHIBUYA109も、右肩下がりに売上は減り続け、今では2008年に280億円あった売上は2018年には140億に半減。早急に脱ギャルを目指しているという状況となりました。

2010年代に入ってからの渋谷は、かつての栄華のかけらで生きているような状況になっていたのです。

100年に1度の渋谷再開発で生まれ変わる渋谷

そこに持ち上がったのが渋谷再開発。渋谷ヒカリエを皮切りにどんどん変わっていく渋谷は、また大人の街として生まれ変わろうとしています。

2020年渋谷は生まれ変わる

2017年に渋谷に登場した渋谷ヒカリエ。そのヒカリエを皮切りに同年に渋谷キャスト、2018年には渋谷ブリッジと渋谷ストリームと渋谷フクラス、2019年には11月に渋谷スクランブルスクエアが、そして12月には東急プラザ渋谷がオープン。それ以外にも渋谷川の再生事業など2020年のオリンピックに向けて渋谷は様変わり。

この再開発の規模は、100年に1度の再開発と言われています。

渋谷ヒカリエに見えた大人の街への回帰

再開発を迎えている渋谷。そのトップバッター的な扱いだった渋谷ヒカリエは、その内容を見れば渋谷が大人の街に生まれ変わろうとしていることがよくわかります。ヒカリエ内のシンクスに出店したテナントは、まさに大人の女性向けのセレクトショップ。しかも、ヒカリエ内には劇場ホールである東急シアターオーブが約2000席という規模で併設されていて、まさに文化の香り漂う大人の街のラインナップ。

そして、他の新しい施設も落ち着いた街を演出する、まさに渋谷の再生を感じさせるものばかりです。

渋谷に憧れたかつての若者たちの聖地へ

2020年に向けた渋谷の再開発。その結果、渋谷が目指しているものは、文化の香り漂う大人の街であることはもはや疑いようもありません。そして、それは言いかえると、かつて渋谷に憧れた若者たちが再び渋谷を聖地にできる、そんな街に生まれ変わっていると言えるのです。

そうつまり、再び今のアラサーやアラフォーの女性にとって渋谷が聖地となる瞬間。と、同時に、文化の香り漂う大人の街として、今の若者の憧れになる街への変貌。新しく、そしてかつての古き良き渋谷を取り戻す開発でもあるのです。

渋谷を新しいライフスタイルの拠点に

渋谷は、文化の香り漂う大人の街に変わろうとしています。そしてそれは言い換えると、ハイクラスな生き方や最先端のライフスタイルを求める人達にとっての新しいライフスタイルの発信源になるということ。

コミュニティ型ワークスペースと呼ばれる『WeWork渋谷』をはじめとしたシェアリングオフィスや、 「渋谷ストリーム」内に誕生した『渋谷ストリームエクセルホテル東急』、“社会活動”を意味する「ソーシャライジング」 がコンセプトのホテル『 TRUNK (HOTEL) 』、 ライフスタイルブランド「koé」が手掛ける 「HOTEL in shop」スタイル の『hotel koé Tokyo』など、進化型とも言える新しいホテルやシェアリングスペースが続々と生まれている渋谷。自分らしい生き方を実現していく大人の集まる街として、新しい暮らし方や働き方を最先端でけん引していく人々にとっての拠点となる可能性も大いにあるのではないでしょうか。

若者の流行の街から、新しいライフスタイルを求める大人が集まる街へ。それが再開発後の渋谷の姿になるかも知れません。これから改めて渋谷の街の変化に注目していきたいですね。

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